海上自衛隊・第1術科学校・幹部候補生学校/旧・海軍兵学校 |
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●名称:海上自衛隊・第1術科学校・幹部候補生学校
●所在地:広島県江田島市江田島町国有無番地
●一般見学案内: 見学開始時間の10〜30分前に営門(正門は表桟橋です。)で受付を済ませます。
見学所要時間は約1時間30分、広報担当の方が案内してくれます。
●見学開始時間: 平日、10:30、13:00、15:00
土・日・祭日、10:00、11:00、13:00、15:00
●入場料: 無料
●各種施設: 駐車場、レストラン、コンビニ(ポプラ)、おみやげものコーナーなどがあります。
●一般見学案内、その他の概要・詳細については公式ホームページでご覧下さい。
海上自衛隊第1術科学校 海上自衛隊幹部候補生学校 |
主な展示物・展示品 |
特殊潜航艇「甲標的」甲型 |
ハワイ真珠湾攻撃に参加した5隻のうちの1隻。昭和35年米海軍により引き揚げられたもの。 |
特殊潜航艇「海龍」試作3号艇 |
潜水学校で昭和20年当時、搭乗員教育用に教材として使われていたもの。 |
戦艦「陸奥」主砲4番砲塔 |
昭和10年の近代化工事の際、取り外したものを海軍兵学校の教材として移設したもの。
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駆逐艦「梨」12,7センチ単装高角砲 |
改丁型駆逐艦「梨」搭載40口径12,7センチ単装高角砲、昭和29年に引揚げられたもの。 |
教育参考館 |
幕末から終戦の年までの日本海軍関係の貴重な資料、特攻隊員の遺影や遺書など |
その他の展示内容 |
駆逐艦「雪風」主錨、九二式4連装魚雷発射管、巡洋艦「明石」のマスト、九五式魚雷(酸素魚雷)、九三式魚雷(酸素魚雷)、九一式航空魚雷、戦艦「大和」46センチ主砲弾、戦艦「長門」40センチ主砲弾、日清戦争で活躍した三景艦「松島」「厳島」「橋立」の32センチ主砲弾など。 |
東京築地にあった海軍兵学校は、その繁華街に近い環境が生徒に悪影響を及ぼすという理由から、明治21年(1888年)8月この江田島に移転してきました。以来、アメリカのアナポリス、イギリスのダートマスとともに世界三大兵学校として世界に知られ、昭和20年終戦により約60年の歴史の幕を閉じるまで多くの海軍将校を世に送り出しました。戦後11年間は連合軍が進駐、教育施設等に使用しましたが、昭和31年1月に返還され、当時横須賀にあった術科学校が移転、その後昭和32年5月10日に幹部候補生学校が独立開校し、現在に至っています。
構内は電柱が無く(戦前に地中化工事が施されているそうです。)景観を配慮した道路の広さもあって空がとても広く感じます。また樹木や芝生がよく手入れされており、塵一つ無く「さすが自衛隊の学校」という印象を受けます。
たくさんの貴重な艦艇の展示資料はもちろん、管理人は詳しくないので説明できませんが、53万平方メートルにも及ぶ敷地はほとんどが旧海軍時代のままで、古鷹山(重巡洋艦の名前にもなっています。)を背に立つレンガ造りの生徒館、古代ギリシャの神殿を模した教育参考館など、貴重な建築物が当時のまま残っており、建物に興味のある方にもお勧めです。
一般見学案内については公式サイトをご覧ください。海上自衛隊第1術科学校・公式HP |
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写真をクリックして頂くと、大きい写真が見られます。(新規ウィンドウで開きます。) |
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幹部候補生学校庁舎(通称赤レンガ)
明治26年建築 |
大講堂 大正6年建築 |
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グラウンドの先、陸奥4番砲塔
砲身を江田湾に向けています。 |
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表桟橋、ここが正門です。 |
大講堂内部、卒業式、入学式
などに使用されるそうです。 |
大講堂 こちらが表玄関 |
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「甲標的」右舷後方より
左は教育参考館 |
駆逐艦「梨」12,7センチ単装高角砲 |
幹部候補生学校庁舎正面 |
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教育参考館 昭和11年建築
(館内は撮影禁止です。) |
三景艦「松島」「厳島」「橋立」
32センチ主砲弾 |
「海龍」左舷前方より |
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構内に電柱はありません。 |
戦艦主砲弾と甲標的
奥は幹部候補生学校学生館 |
戦艦「大和」46センチ主砲弾 |
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第一術科学校学生館
平成10年全面改築されています。 |
第一術科学校庁舎 昭和16年建築
旧海軍兵学校庁舎 |
「長門」型40センチ主砲弾 |
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